浅野楢英『論証のレトリック』
論証のレトリック―古代ギリシアの言論の技術 (講談社現代新書)
- 作者: 浅野楢英
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/04
- メディア: 新書
- 購入: 6人 クリック: 69回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
レトリック(レートリケ―)について書かれた新書を読みました。例によってT橋さんのツイートによって存在を知った本です。いつもありがとうございます。
本書は、「レートリケ―」という概念について、特にアリストテレスに依りつつ解説した本です。その際に典拠になっているのは主に『弁論術』と『トピカ』で、本書はこれらのテクストを読む際の手引きにもなるのではないかと思われます。
- 作者: アリストテレス,Aristotelis,戸塚七郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/03/16
- メディア: 文庫
- 購入: 16人 クリック: 67回
- この商品を含むブログ (17件) を見る
- 作者: アリストテレス,池田康男
- 出版社/メーカー: 京都大学学術出版会
- 発売日: 2007/07
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
第I章では、レートリケ―の一般的枠組みと、それについてのアリストテレス以外のギリシアの思想家の考えが概観されます。ホメロスやソフィスト、プラトン、そしてイソクラテス等の豊富な事例が引かれています。
第II章では、アリストテレスのレートリケ―理論の一般的規定が説明されています。レートリケ―とは、「それぞれどんな事柄に関してでも、可能な説得手段(説得的なもの)を見つける能力」(『弁論術』1355b25)です。レートリケ―の三つの研究課題である、「説得立証法」「修辞(表現)法」「配列法」をはじめとした、レートリケ―理論の概観図が図表にまとめられてもいます。レートリケ―理論との関係からトポス論においても論じられることになり、レートリケ―とトポスの関係から、上記の説得立証法は以下の三つに区別されることになります。
・ロゴスによる説得立証
・エートスによる説得立証
・パトスによる説得立証
ここから、第III章では、ロゴスによる説得立証に役立つ固有なトポスが、第IV章ではエートスによる説得立証とパトスによる説得立証とに役立つ固有なトポスが、そして第V章ではロゴスによる説得立証に役立つ共通なトポスが、それぞれ取り上げられることになります。固有なトポスとは、それぞれの説得立証における主題の固有な論拠であり、共通なトポスとは、領域横断的な論証の一般形のことです。
第VI章では、レートリケ―とディアレクティケーの共通点と相違点が論じられます。
共通点
(1)両者ともその言論はエンドクサに基づいておこなわれ、蓋然的な事柄が取り扱われる。
(2)反対の主張の双方に対して問題点を提起することが可能であり、異なる前提を見つけることにより、互いに反対の主張を結論として提出することが可能である。
(3)それらの事柄に関する言論の知識である。
相違点
(1)言論の展開について、レートリケ―では論述形式で行われるが、ディアレクティケーでは問答形式で行われる。
(2)言論の部分について、レートリケ―では〈序言・論題提起・説得立証・結語〉とに分けられるが、ディアレクティケーでは〈問題提起・論証〉とに分けられる。
(3)レートリケ―ではエートスやパトスによる説得立証も有用。しかし、ディアレクティケーでは事柄の論理的な証明だけが有効。このことはレートリケ―が幅広い射程を持つことにも繋がる。
(4)レートリケ―においては個別的な問題が、ディアレクティケーにおいては普遍的な問題が取り扱われる。
(5)レートリケ―は主に政治的・倫理的な事柄を扱う。
第VII章では、現代論理学の解説を行いつつ、レートリケ―と論理学がいかなる関係にあるかが論じられます。妥当な推論形式の基本的なものが図表でまとめられていたり(pp. 180-185)、説得推論を論理学的に妥当な推論として解釈する試みもなされています(pp. 187-189)。
むすびの部分では、現代におけるレートリケ―の受容について論じられています。歴史の流れの中で、レートリケ―は修辞学の範囲にのみ落とし込められてきました。著者が繰り返し述べることですが、このような動きはレートリケ―の持つ豊潤な内容を取りこぼすことに繋がります。しかし現代では、言語学や文学理論、そして法律学の側面から、レートリケ―の復興の運動が高まってきています。
本書で最も興味深かったのは、レートリケ―と論理学との関係を論じた第VII章でした。私自身が『後書』の研究者ということもありますが、やはり、「オルガノン」と『弁論術』との関係は、アリストテレス研究者にとって興味をひくトピックです。特に「自然の必然性と論理の必然性の相違」(pp. 190-191)は、『後書』解釈でもよく話題になる問題です。