サラマンドラの水槽

μία γὰρ χελιδὼν ἔαρ οὐ ποιεῖ, οὐδὲ μία ἡμέρα. (Arist. EN. 1098a18-19)

門司港とHarari本第3章

10時起き。
色々雑務を片付け、ご飯を食べたら3時ぐらいになっていた。
準備して門司港へ。門司港レトロをまわってみたかったが、時間がないのと寒すぎたために断念。春頃にプライベートでまた来たい。
23時に門司港を出て、1時過ぎに帰宅。土曜日なんてなかった。

Knowledge and Demonstration: Aristotle’s Posterior Analytics (The New Synthese Historical Library)

Knowledge and Demonstration: Aristotle’s Posterior Analytics (The New Synthese Historical Library)

昨日から続けて、第3章「論証のロジック」を読む。

3.1.「シュロギスモス理論の現代的解釈」では、アリストテレスの推論(シュロギスモス)が現代でどのような解釈を被ってきたのかの素描がなされます。
一方ではLukasiewiczによる「公理論的解釈」があります。彼はアリストテレスの論理学において、シュロギスモスの第一格が公理として働き、第二格と第三格が派生的定理として働くと解釈するのです。そこからLukasiewiczは、シュロギスモスを「AがBでありBがCであれば、そのときAはCである」というような条件命題として捉えるのです*1
他方ではSmiley (1973) やCorcoran (1974) による「演繹的解釈」があります。この解釈は或る意味で伝統あるものであり、演繹のステップをふむことにより、一連の前提から或る一定の命題を導くものとしてシュロギスモスを捉えるものです。「シュロギスモスの理論は論証の妥当性と健全性を決定する方法として発展させられている」(p. 65)というのが彼らの結論です。
Harariは、この両者ともアリストテレス知識論におけるシュロギスモスの役割を説明しそこなっていると述べます。Harariはシュロギスモスにアリストテレスの与えている特徴を見ていくことで、演繹的解釈を改訂しようとします。

3.2.「シュロギスモスと基礎定立に基づく推論」では、結局のところ、アリストテレスにとってシュロギスモスの真理値と前提の内容は異なっていないということが言われています。ここは後々、もう少し丁寧に議論を追う必要がありそうです。

3.3.「シュロギスモスからの帰結」で重要な箇所は、シュロギスモスとは小項が大項の種でありさえすれば、前提の真理値に関係なく真なる結論が導出されるという議論です。そのことはつまり、シュロギスモスにおいては小項と大項を繋ぐ中項が決定的な役割を果たすということです。中項は小項よりも外延が広く、大項よりも外延が狭い。アリストテレスはシュロギスモスの前提と結論との関係を内的なもの、つまり概念間の関係と考えているのです。

3.4.「シュロギスモスとしての推論の認知的価値」はこの章全体の結論です。第一格において中項は主語であり述語でもあるわけですが、第二格では述語としてのみ、第三格では主語としてのみ機能します。Geachなどは、アリストテレスのシュロギスモス理論に対して、意味の変化なしに主述における項の位置を変えるのはまずいのではないかと批判します*2。しかし、アリストテレス論理学は名についての論理学ではなく概念の論理学なのでこの批判はあたりません。
だからといって、アリストテレスの論理学が概念を作り出すわけではありません。むしろ、概念を明らかにする(unveil)のがアリストテレスの目的です。明らかにするとはどのようなことか。『後書』B巻第19章における「帰納(エパゴーゲー)」は、知識の原理としての抽象的概念を獲得する方法ですが、その過程の中では知識対象となる事物や事柄の諸性質が削ぎ落とされてしまいます。しかし、そのような諸性質こそ、アリストテレスが『後書』A巻で「自体的属性」と読んだところの、学的探求の目的の一つでした。このいったんは削ぎ落とされてしまった自体的属性を特定することによって抽象的概念を豊かにすることこそシュロギスモスの役割であるとHarariは結論づけるのです。

*1:

Aristotle's Syllogistic from the Standpoint of Modern Formal Logic

Aristotle's Syllogistic from the Standpoint of Modern Formal Logic

*2:

Logic Matters

Logic Matters