近況
ご無沙汰しております。
最近は学会発表に論文執筆に非常勤にと多忙な日々が続いています。
備忘録的に徒然となるままに書いていきたいと思います。
先々週の5/20(土)に日本哲学会にて「アリストテレスにおける経験と第一原理」というタイトルで発表してきました。
かなり雑な議論をしていたので、やはりというかいろいろな人から「その結論はありえんでしょ~」という反応をいただきました。恐縮です。
現在はいろいろ考え直して、アリストテレス哲学における「原理」概念の諸相について文章を書いています(その節は時間を取っていただいてありがとうございました>>某氏)。丁寧な論証かつ大胆な主張を含んだ論文に直していきたいです。
上記のものとは別に論文を2つ書いていて、そのうちの1つは本日投稿しました。
すごく大ざっぱに言うと、アリストテレス哲学における意味論について考察した論文です。
もう1つのものはアリストテレスの「分析」概念についてのもので、こちらは現在ひーこら書いています。
どちらも私の博論になくてはならないトピックなので、なんとかしていきたいです。
非常勤では、現在、アカデミック・ライティングと倫理学入門を教えています。
前者は私自身の論文執筆の参考になりますし、後者は授業をしているだけで面白いです。
ただし、倫理学入門に関しては、私の予想以上に「文化的相対主義」についての回が難しかったらしく、来年以降の対策を考えています。
でも、どちらも楽しく授業をさせていただいております。
本当にまとまりがないですが、現状こんな感じです。
これからもなんとかかんとかやっていきます。
服部植物研究所に行ってきました
本当にご無沙汰しています。
1年半ぶりに思い立って更新しています。
先月末、学部時代に住んでいた宮崎に行ってきました。
結果的に観光旅行になったのですが、宮崎市内から少し足を伸ばし、伊東氏の城下町である飫肥市に行ってきました。
そこで厚焼き玉子や飫肥天を食べ歩いていたのですが、本当に偶然、表題の服部植物研究所にお邪魔することができました。
服部新佐という研究者が設立した、世界で唯一の蘚苔(コケ)類研究機関らしいです。
コケについての研究は植物学研究の一分野らしいのですが、恥ずかしながらそのような分野があること自体を初めて知りました。
この研究所には職員さんが3人ほど常駐されているのですが、皆様親切で色々とコケについてお聞きすることができました。
そのお話によると、コケ研究はやはり分類が基本らしいです。
私は一応アリストテレス哲学を専攻していることもあり、分類ということそのものに関心がありますので興味深くお話をお聞きできました。
しかし、世知辛いことに最近では分類についての研究だけでは科研費をとれないらしく、医療や環境方面へのコケの応用研究もされているらしいです。
コケの写真、標本、服部博士の手記、論文の原本など、知的好奇心を刺激されるものが盛りだくさんの場所でした。
飫肥市へお越しの際はぜひ足を運ばれてみてください。
外観
研究所2階は雰囲気のいい和室になっています。所狭しとコケの写真や標本が並べられています。
色々なコケの写真。見ているだけでも楽しい!
たまたま職員さんたちのお茶の時間だったとのことで、コーヒーも出してもらいました。
アンセルムスについてのお勉強
「神」という謎―宗教哲学入門 (SEKAISHISO SEMINAR)
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Kenny, Anthony, ‘ Practical truth in Aristotle’
ご無沙汰しております。
仕事でも私事でもごたごたが多く、なかなか更新できませんでした。
このたび九州大学名誉教授の松永雄二先生を中心とした会である「西日本古代哲学会」にて発表をすることになりました。
題目は「アリストテレス『ニコマコス倫理学』における実践的真理について」と、大風呂敷を広げたものになっております。
つい先程完成させ原稿送付を行ったのですが、書いた私から見てもひどいものでした。今年、熊本である日本倫理学会でこの題目にて発表することを目標にしているので、西日本古代哲学会当日での発表を通じてリバイズしていければと思います。
上記のような事情があったため、ここ最近は実践的真理についての文献を漁っていました。その中でも比較的新しい文献である、Anthony Kennyによる‘ Practical truth in Aristotle’についてのメモを、勉強がてらここに載せておこうと思います。
ちなみにこの論文は、Jonathan Barnesへの献呈論文集であるEpisteme, etc.に寄稿されたものです。Kennyのもの以外にも、BurnyeatによるEpisteme論文を始めとして面白いものが多数収録されておりますので、ぜひご購入になってお読みください。
Episteme, Etc.: Essays in Honour of Jonathan Barnes
- 作者: Benjamin Morison,Katerina Ierodiakonou
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実践的真理についての文献は多々あるが、真理の担い手が何であるかについては意見の一致を見ていない。
真理の担い手は、アンスコムにとっては行為であり、リアにとっては人であり、ブローディとロウにとっては心である。
→いずれも間違い。真理とは或る一定の状態や活動の性質であると言うべき。これを言うためにはプロアイレシスについて述べておく必要がある。
→翻訳について。プロアイレシスにはresolution、ロゴス・ヘネカ・ティノスについてはwhereforeを、プラークシスにはconductをあてる。
→アリストテレスはΓ巻において、ドクサが真偽に関わるのと異なり、選択はよきものと悪しきものに関わると言っている。トマスの引用からも明らかなように、選択のうちに実践的真理は置けない。
→実践的推論の例は制作に関わるものばかりで選択の例を考える手助けにはならない。
→人柄の徳に関わる実践的推論を見よう。結果として、勇気や誠実さのための欲求が正しき欲求なのである。
→正しき欲求に随伴しないような真理のケースとはどんなものか。
彼女とのセックスはとても快い(真)
もし訪ねれば彼女はついてくるだろう(真)
だから私は頑張ってみよう(選択:悪)
この選択は、「人生の目的は最善のセックスを為すことである」という偽なる普遍的前提に支えられている。
→欲求のタイプを区別する必要がある。善き生への欲求、勇気への有徳な欲求。
→以下の推論には行為におけるいかなる帰結もない。
勇気ある人は危険だが戦略的に重要である遠征を進んで行う。
この遠征は危険だが戦略的に重要である。
ゆえに、勇気ある人がすすんでなすだろう。
これは実践的推論の産物であるところの真理であるが、実践的選択を導くような真理ではない。
→実践的推論の真理とは、前提の真理だけでなく論証の妥当性も含む。この真は「健全」と呼んで差し支えない。実践的推論の目的は善いものである。
→実践的推論に規則があるとすれば、理論的推論が真なるものから真でないものには決して移行しないように、善きものから善くないものへは移行しないというところに求められる。実践的前提の善さは適切に振る舞うことの選択であるところの結論へと通じている。
→実践的推論は「無効化可能性(defeasibility)」という特徴を持っている。理論的推論の場合には、新たな前提を加えることで、先立つ妥当な推論を無効化することはできない。これは、一連の前提から導かれる結論が、それらを含むより広いものどもから導かれるだろう、ということである。善として理性的に評価されることのできる行為の連続は、さらなる前提が付け加えられればもはや合理的であることはできない。この無効化可能性という特徴は、アリストテレスのみならずすべての論理学者に対して、実践的推論の定式化を阻むものである。
→結論:バーンズがアンスコムの「『真』や『偽』という述語は、単にその用法の拡張やいい抜けるための仕方ということではなく、厳密かつ適切に行為に適用される」という主張を排除しているのは正しい。しかしアンスコムもまた、「アリストテレスにおける実践的真理は普通の真理(plain truth)とは異なっている」と述べている点で正しい。実践的真理は、理論的推論の健全性のそれとは異なる基準に依拠しているような、そのような実践的推論の健全性を意味するからである。それらの基準が何であるかということは読者への課題として残されなければならない。
今持っているもの、今後持つべきもののリスト
今持っているもの
西日本哲学会で発表してきました
例によってリサーチマップに発表原稿をあげております。
リンク先PDF
https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=75249
はっきり言って、今までの中で一番ひどい内容だったかもしれません。
知識と存在との関係をつけようと急くあまり、かなり強引に『後書』から『前書』と『カテゴリー論』に話を持っていってます。
お話しできた方々からも「まずはもう少し『後書』のテクストを精緻に」というお言葉をたくさんいただきました。
論文へとこの原稿をリバイズする際には、今回の発表のように無理に『前書』に持っていくのではなく、『後書』B16-18をもう少し検討して、主語項と述語項の換値可能性から攻めていこうと思っています。
ともかく要訓練です。
『分析論後書』の新訳について
分析論前書 分析論後書 (新版 アリストテレス全集 第2巻)
- 作者: 内山勝利,神崎繁,中畑正志
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/11/28
- メディア: 単行本
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ついに出ましたね。『分析論後書』の新訳。
以下、気になる点まとめ。
・A4の自体性解釈について(pp. 527-528)
分析的-経験的の区別を持ち込むModrak (2001) の解釈の排除。これは自分も論文で同じことをしたので理解できる。また、自体性(3)(4)を「(1)(2)を補い説明している」という解釈も納得いく。
しかし、自体性(2)をB16-18で論じられる「落葉」と「広葉」との関係から捉えているという解釈がわからない。河谷先生の論文(1995)を読んでもいまいち理解できない。