サラマンドラの水槽

μία γὰρ χελιδὼν ἔαρ οὐ ποιεῖ, οὐδὲ μία ἡμέρα. (Arist. EN. 1098a18-19)

飯塚行きとHarari本第2章

11時頃起床。身支度をして副業先へ。途中、箱崎駅裏の某クリーニング店にワイシャツを三枚ほどあずける。ここは安くて仕事がしっかりしているので好き。

17時に飯塚。小雨が降っていた。

21時前に博多に戻ってくる。途上、某ラーメン屋で替え玉までしてしまった。相変わらずここの超極細麺とスープの組み合わせは最高である。

職場の某氏に「槽垂原酒」という日本酒をもらったので、帰宅してからロックで飲む。すっきりした味で非常に美味しい。ありがとうございます。

 

 

Knowledge and Demonstration: Aristotle’s Posterior Analytics (The New Synthese Historical Library)

Knowledge and Demonstration: Aristotle’s Posterior Analytics (The New Synthese Historical Library)

 

 

Harariによる『後書』研究書の第2章「無中項命題」を読みました。英語が読みやすいし、論述方法も私の好みですし、いい本だと思います。

2.1.「無中項前提と懐疑論」では、懐疑論に対抗するために、アリストテレスが論証の第一原理の二つのタイプ――知性と無中項の前提命題――を提出したことが触れられています。

2.2.「定義と基礎定立」では、よく問題となる『後書』A巻第2章の「公理」「基礎定立」「定義」のうち、後者二つの区別について論じられています。伝統的に、(1)多くの解釈者たちが基礎定立を「xは存在する」のような存在命題と、定義を述語づけと捉えてきました*1。しかしこの解釈は、「xは存在する」のような基礎定立が推論の前提として機能できないことから、アリストテレス知識論の枠組みにうまく適合しないものとして退けられます。また、(2)特にGomez-Lobo (1977) によって提唱された*2、基礎定立は「これはFである」というような単称命題であるというような解釈もとれません。論証の前提は全称命題でなければならないからです。

(1)も(2)も見込がないことからHarariのとった戦略は、テクニカルな基礎定立とテクニカルでない基礎定立をまず峻別し(p. 44)、テクニカルな基礎定立に存在含意を与えるという解釈方法です。この場合のテクニカルな基礎定立における存在含意とは、「AがBであることが事実である」とか「AがBであることは事実でない」という形で表されます。こうすることで、基礎定立は真か偽のどちらかであるところの存在を含意している命題となり、定義は本質に関わるがゆえに、真でしかありえない命題となります。基礎定立と定義は双方命題形式をとるという点では一致していますが、真偽の観点から区別されるのです。

2.3.「基礎定立の様相身分の問題」では、基礎定立がいったいどのような命題なのかが問題となります。これは、私自身も以前論文を書いた、『後書』A巻第4章における自体性と必然性の問題に関わってきます。基礎定立は必然的な命題でなければならず、必然的であるためには自体的である必要があります。この自体性は結局のところ本質の一部を当の基礎定立が言明しているがゆえに必然的であるため、Harariは「アリストテレスの論証理論の文脈では、本質的に帰属することと必然的に帰属することは等価な表現である」(p. 50)と結論づけています。

2.4.「基礎定立と排中の原理」は、正直なところあまり理解できていません。おそらく、自体性は排中の原理と結びつき付帯性はそうでないということが、プラトンの「イデアとそれぞれのもの」が引かれながら論じられているのだと思います。

2.5.「論証的必然性」では、基礎定立が措定された定義に基づくものであることが明らかにされます。相反する基礎定立がありうるのは、その基礎定立のそれぞれが異なる定義を基礎に持っているからなのです。

2.6.「基礎定立に基づく知識対端的な知識」では、今までの考察をもとにして、定義と呼ばれるものはすでに前提と結論との概念的関係を示唆しているという趣旨のことが述べられます。結局のところ、「本質についての先立つ認識が、所与の推論が論証的かどうかを決定する」(p. 61)のです。

*1:基礎定立の存在論的解釈については、p. 41, n. 2のリストを参照。

*2:この立場は他に、Hintikka (1972) やOwens (1978) によってとられている。