サラマンドラの水槽

μία γὰρ χελιδὼν ἔαρ οὐ ποιεῖ, οὐδὲ μία ἡμέρα. (Arist. EN. 1098a18-19)

『魂論』集中講義三日目

三日目。

B巻第2章の残りを終わらせ、第5章に突入。

作用や性質変化について色々と話題になった。

 

感覚は動かされることのうちにも作用を受けることのうちにも生じることは、先に言われたとおりである。というのも、感覚とは或る種の性質変化であると考えられるからである。或る人々は、似たものが似たものから作用を受けると言っている。

ἡ δ’ αἴσθησις ἐν τῷ κινεῖσθαί τε καὶ πάσχειν συμβαίνει, καθάπερ εἴρηται· δοκεῖ γὰρ ἀλλοίωσίς τις εἶναι. φασὶ δέ τινες καὶ τὸ ὅμοιον ὑπὸ τοῦ ὁμοίου πάσχειν. (416b33-35) 

 

この箇所から、感覚器官そのものが感覚対象からの影響で性質変化すると読み込む解釈者もいるが、そうではなく、むしろ感覚能力が作用を受けるのだろうという話に。それが具体的にどのような事実を指しているのかについては検討が行われたが、私の提出した「感覚能力が作用を受けるとは、その能力が対象を受容するのに適した状態になることでは」という意見をひとまずは採用するという形に。もし私のこれが正しければ、認識論的にすごく面白いことになりそう*1

 

また、以下の箇所についても少しだけ。

  

さて、感覚能力が現実態においてではなく可能態においてのみあることは明らかである。それ故に、[感覚能力についての議論はちょうど、]①燃やされうるものがそれを燃やすことのできるものなしには自分自身では燃えないのと同様である。というのも、燃やされうるものは自分自身を燃やすことになり、現実態にある火をまったく必要としなかっただろうからである。ところで、②われわれは感覚することを二つの仕方で言うので(すなわち、聞くことや見ることのできるものについて、それがたまたま眠っている場合でも「聞く」とか「見る」とわれわれは言うのであり、すでに活動している聞くことや見ることについてもそうである)、感覚もまた二つの仕方で言われるのであり、そのうちの一方は可能態にある感覚であり、他方は現実態にある感覚である[ことができる]だろう。同様に感覚されるものも 、可能態にあることと現実態にあることの両者がある。

δῆλον οὖν ὅτι τὸ αἰσθητικὸν οὐκ ἔστιν ἐνεργείᾳ, ἀλλὰ δυνάμει μόνον, διὸ οὐκ αἰσθάνεται, καθάπερ τὸ καυστὸν οὐ καίεται αὐτὸ καθ’ αὑτὸ ἄνευ τοῦ καυστικοῦ· ἔκαιε γὰρ ἂν ἑαυτό, καὶ οὐθὲν ἐδεῖτο τοῦ ἐντελεχείᾳ πυρὸς ὄντος. ἐπειδὴ δὲ τὸ αἰσθάνεσθαι λέγομεν διχῶς (τό τε γὰρ δυνάμει ἀκοῦον καὶ ὁρῶν ἀκούειν καὶ ὁρᾶν λέγομεν, κἂν τύχῃ καθεῦδον, καὶ τὸ ἤδη ἐνεργοῦν), διχῶς ἂν λέγοιτο καὶ ἡ αἴσθησις, ἡ μὲν ὡς δυνάμει, ἡ δὲ ὡς ἐνεργείᾳ. ὁμοίως δὲ καὶ τὸ αἰσθητόν, τό τε δυνάμει ὂν καὶ τὸ ἐνεργείᾳ. (417a6-14)

 

この箇所の図式は、①燃やされうるものは燃やすもの(火)なしには燃やされず、それと同様に、②感覚しうるもの(能力)は感覚されうるもの(対象)なしには感覚しない、ということである。一見したところわかりづらく、事実私自身が講義中にわかっていなかったところなので、メモ代わりに残しておく。

 

集中講義自体ももちろん楽しかったのだが、この日の何よりの収穫は『魂論』の最新の研究動向を知ることができたこと。

Thomas Johansenという研究者の以下の二つの著作を紹介していただいた。

  

Aristotle on the Sense-Organs (Cambridge Classical Studies)

Aristotle on the Sense-Organs (Cambridge Classical Studies)

 

 

 

The Powers of Aristotle's Soul (Oxford Aristotle Studies)

The Powers of Aristotle's Soul (Oxford Aristotle Studies)

 

 

 

集中講義後は、例によって博多の副業先まで書類を届けに。

バスの中で、Twitterで知ったこの本を読む。

 

恵みの時

恵みの時

 

 エッセイ集ではあるのだが、その背景にある学識にウンウン唸りながら読み進めてます。プラトンアリストテレスもたくさん引かれていて面白いです。

 

博多駅近くの某店でラーメンを食べて帰る。あんまり美味しくなかった。

帰宅してからは講義の復習を少しだけして、Coldridge Estate Chardonnay 2011を一本あけてしまう。ほのかな酸味があってまことに美味でございました。

*1:『魂論』全体の問題に関わる魂概念の捉え方に関しては、どうにもSorabjiやNussbaumによる機能主義的解釈よりも、Burnyeatによる解釈のほうがより正確そうだという話にもなった