サラマンドラの水槽

μία γὰρ χελιδὼν ἔαρ οὐ ποιεῖ, οὐδὲ μία ἡμέρα. (Arist. EN. 1098a18-19)

『魂論』集中講義一日目

今日は、五日間にわたる某先生による『魂論』集中講義一日目。

予習その他諸々の理由で寝てなかったのでふらふらだったが、なんとかこなすことができた。あと四日間よろしくお願い致します。

B巻第1章から読み進めているが、最も問題になったのはやはり以下の魂の定義。三つのヴァージョンがある。

  

それ故に、魂とは「生命を可能的に持つ自然的物体の形相としての実体」であることは必然である。

ἀναγκαῖον ἄρα τὴν ψυχὴν οὐσίαν εἶναι ὡς εἶδος σώματος φυσικοῦ δυνάμει ζωὴν ἔχοντος. (412a19-21)

 

それ故に、魂とは「生命を可能的に持つ自然的物体の第一の完全現実態」である。

διὸ ἡ ψυχή ἐστιν ἐντελέχεια ἡ πρώτη σώματος φυσικοῦ δυνάμει ζωὴν ἔχοντος. (412a27-28)

 

さて、もし魂のすべてに共通な何かを言わなければならないとすれば、それは「器官を備えた自然的物体の第一の完全現実態」だろう。

εἰ δή τι κοινὸν ἐπὶ πάσης ψυχῆς δεῖ λέγειν, εἴη ἂν ἐντελέχεια ἡ πρώτη σώματος φυσικοῦ ὀργανικοῦ. (412b4-6)

  

上記の二つでは、「生命を可能的に持つ自然的物体(σώματος φυσικοῦ δυνάμει ζωὴν ἔχοντος)」は質料なのか結合体なのかが問題となった。おそらく質料だろうという話に。また、「可能的に(δυνάμει)」ということが能力を示すかどうかという解釈も検討していただいたが、こちらにはあまり見込みがないみたい。

三番目の定義は上の二つの定義と違って「可能的に」という言葉がなくなっているのでわかりやすい。アリストテレスによる魂の定義の暫定的決定版なのではないかと思われる。

 

集中講義が終わった後はクリスマスプレゼントを買いに天神の岩田屋へ。

買うものは決めていたので悩まずにすんだ。