サラマンドラの水槽

μία γὰρ χελιδὼν ἔαρ οὐ ποιεῖ, οὐδὲ μία ἡμέρα. (Arist. EN. 1098a18-19)

『分析論後書』Β巻第19章参考文献(日本語)

以前こんな感じの記事を書いていましたが、あれから参考文献が山のように増えました。以前は海外文献ばかり探していましたが、日本語文献でもかなりの数を発見したので追加してメモがてら報告します(日本の先行研究を探すように示唆していただいた高橋さん、ありがとうございました)。わかりきっていたことですが、やっぱりこの箇所は相当論議を呼ぶ箇所ですね。そういった難しいところをやっているというのはそれだけで楽しいです。

 

以下、前回のものに追加の参考文献(A-Z順)


浅野楢英「アリストテレス帰納(エパゴーゲー)について(I)」, 『東北大学教養部紀要33』, 1981a, pp. 261-274.
―――,「アリストテレス帰納(エパゴーゲー)について(II)」, 『東北大学教養部紀要35』, 1981b, pp. 166-184.
伊藤雅巳「知のアルケー(ἀρχή)への問い――アリストテレス『分析論後書』B巻第19章」, 『哲学』46号, 日本哲学会, 1995年, pp. 31-39.
金子善彦「アリストテレスにおける個の認識」, 中川純男・田子山和歌子・金子善彦編『西洋思想における「個」の概念』, 慶應義塾大学出版会, 2011, pp. 11-52.
桑子敏雄『エネルゲイア――アリストテレス哲学の創造』, 東京大学出版会, 東京, 1993.
松尾大「アリストテレース『分析論後書』最終章にある敗走の比喩は何を意味するか」, 『成城文藝』119, 1987.5, pp. 616-632.
竹田浩一「アリストテレス『分析論後書』における帰納と論証」, 金沢医科大学教養論文集 38, 2010, pp. 1-14.
山本建郎「アリストテレス『分析論後書』における帰納と分割」, 秋田大学教育学部研究紀要, 人文科学, 社会科学(38), 1988, pp. 1-17.

 

 

ちなみに、今書き進めている原稿では『分析論後書』B巻第19章の問題を次の四つに区別して論じています。

 

(A)原理はどのように認識されるようになるのか
(B)原理を認識している状態とはいかなるものか
(C)そもそも、その「原理」とはいかなるものを意味しているのか
(D)知性が論証の原理であるとして,それがいかなる意味で論証の原理であるのか

 

この四つのうち(A)(B)に関してはテクストのうちでアリストテレスが立てる問いです。(C)(D)はテクスト中に明示的に示されていないものですが、しかしこれらの問いに答えを与えることによって、B巻第19章自体を整合的に読み、さらにこの章を『分析論』全体の目的である「論証的知識」という観点から捉えるということが私の目的です。以上のことはあくまで暫定的なものですが、基本的にはこの観点から議論を構成していくつもりです。

 

 

 

2013/1/29

参考文献に、金子善彦「アリストテレスにおける個の認識」を追加