サラマンドラの水槽

μία γὰρ χελιδὼν ἔαρ οὐ ποιεῖ, οὐδὲ μία ἡμέρα. (Arist. EN. 1098a18-19)

言語哲学入門

言語哲学を学ぶ人のために

言語哲学を学ぶ人のために

 

専門ではありませんが、せっかく読み終わったので記録がてら感想を。

内容と執筆者はこちらを参照。

 

目次のとおり、第I部では言語哲学の基礎、第II部では意味論、そして第III部では行為としての言語が扱われています。

私の当初のお目当ては第II部「意味論」でした。勉強のためというのもあるのですが、この本を読みこなすためという目的が強かったです。

当初の目論見どおりその目的は或る程度達成されたのですが(といってもまだまだ理解の及ばないところがたくさんありますが)、第III部を楽しく読めたことは意外でした。

私の専門にあまり関係がないため読み飛ばすつもりでいたのですが、むしろ専門に関係がないからこそ、ぐいぐいと引きこまれていく感じがありました。特に、序「行為としての言語」を読んだことで、デイヴィドソンが出来事個体の存在を認める存在論にコミットした理由をあらためておさえることができたのは収穫でした。

 

かくしてデイヴィドソンは、出来事個体の存在にコミットしても、自然言語の文においてもともと措定されている存在者以外の新たな存在者を意味論に持ち込まないという指針を遵守していると言い続けることができるわけである。(pp. 187-188)

 

このあたりの議論は現代哲学を研究されている方には常識的なことなのでしょうが、そのことを平明な文章で門外漢にわかりやすく伝えていただけるのは非常に助かります。

もちろん、第I部も楽しく読めました。中でも、第3章「経験主義の三つのドグマ」が、またまたデイヴィドソン関係ですが、この議論の歴史的な流れをクリアに伝えてくれるものだったと思います。