サラマンドラの水槽

μία γὰρ χελιδὼν ἔαρ οὐ ποιεῖ, οὐδὲ μία ἡμέρα. (Arist. EN. 1098a18-19)

『後書』読書会第一回など

7時起床。読書会の準備を粛々と進める。

13時から東京の某氏と大阪の某氏との三人で『分析論後書』読書会。私の都合で時間を前にずらしていただいて申し訳ありませんでした。

『後書』A巻第1章の最初の部分。具体的には71a1-17。初っ端から大事なところがどんどん出てくる。

たとえば、ὅτι ἔστιをどう訳し、どう解するかという問題。解釈方向としては、Goldin (1996: 45) が示すように、(1)「任意の所与の対象が存在する」、(2)「任意の基体がそれに述語づけられる所与の対象を持つ」、(3)「任意の所与の対象がそれに述語づけられる何か他のものを持つ」というように区別するのがいいと思う。私自身は、(3)がいいと思うしその方向性で論文も書いたが、この読書会でこれからも議論していきたい論題である。*1

 

Explaining an Eclipse: Aristotle's Posterior Analytics 2.1-10

Explaining an Eclipse: Aristotle's Posterior Analytics 2.1-10

 

 

また、排中律矛盾律の両方をアリストテレスはすべての学が依って立つところの公理として認めているのだが、そのどちらがより根本的なのかという問題も出された。私自身はより存在の問題に近いという点で矛盾律が根本的だと思うがどうだろう*2

 

ともあれ、この読書会は自分の専門に最も近い読書会ということもありかなり気合を入れています。これからが楽しみです。

 

読書会後、16時半に某後輩と箱崎駅で待ち合わせをし、19時に八幡西。

高速バスで天神まで戻り、某後輩と飲む。日曜夜なので軽い食事をとるところが開いておらず、結局は高くついた。その分これから頑張ってください。

25時頃薬院に帰宅。

*1:GoldinがここでA2を念頭に置いていることには注意しなければならない。ただ、ὅτι ἔστιはいたるところに出てくるためA1にGoldinの区分がまったく当てはまらないということにはならないはずである。ちなみに、Goldinの本は内容の明晰さもおしゃれなタイトルも大好きだったりします。

*2:どうやら東京の某氏によるとヴォルフも同じように考えていたらしい。全然確認していないのであれだが、誰か参照テクストをご存知でしたら教えて下さいませ。